2012年ロンドンオリンピック開会式において
IOC会長がスピーチした原稿をメモる。
Your Majesty,Your Majesties,
Your Royal Highnesses,
Distinguished Guests,
Ladies and Gentlemen,
In just a few moments, the Olympic Games will officially return to London for the third time, setting an unmatched record for hosting the Games that spans more than a century. Thank you, London, for welcoming the world to this diverse, vibrant, cosmopolitan city yet again.
It has taken a lot of hard work by many people to get us to this point. I want to thank the entire team at the London Organizing Committee - superbly led by Lord Coe - for their excellent and hard work. I also want to thank all the public authorities who have helped ensure that these Games will leave a lasting positive legacy long after the closing ceremony.
And, of course, we are all grateful to the thousands of dedicated volunteers who are being so generous with their time, their energy and their welcoming smiles.
For the first time in Olympic history all the participating teams will have female athletes. This is a major boost for gender equality.
In a sense, the Olympic Games are coming home tonight. This great, sports-loving country is widely recognized as the birthplace of modern sport. It was here that the concepts of sportsmanship and fair play were first codified into clear rules and regulations. It was here that sport was included as an educational tool in the school curriculum.
The British approach to sport had a profound influence on Pierre de Coubertin, our founder, as he developed the framework for the modern Olympic Movement at the close of the 19th century. The values that inspired de Coubertin will come to life over the next 17 days as the world's best athletes comepte in a spirit of friendship, respect and fair play.
I congratulate all of the athletes who have earned a place at these Games. And to the athletes, I offer this thought: Your talent, your dedication and commitment brought you here. Now you have a chance to become true Olympians. That honor is determined not by whether you win, but by how you compete. Character counts far more than medals.
Reject doping. Respect you opponents. Remember that you are all role models. If you do that, you will inspire a generation.
These Games bring many hopes. Hope for harmony and peace between the 204 National Olympic Committees. Hope to see the young generations inspired by the values of sport. Hope that these Games continue to promote sustainble development.
Dear Athletes, make us dream.
I now have the honor to ask Her Majesty the Queen to open the Games of the XXX Olympiad.
店長のヒトリゴト
私事中心の本当にどーでもいい独り言ばっかり。そんな店長の記録:日記、写真、意見、好きなもの紹介、英語の練習 etc
2012年8月6日月曜日
2012年3月21日水曜日
さっそく明日から実践してみよう。
貯金に関して。
自分なりの方法はあると思うけど、
他人の方法を聞いて「なるほど」と思うことがある。
なんでもそうだけど、他人が言うと説得力があるよね。
ちょっと実行してみようと思う。
勉強に関して。
今日から教採の勉強を本格的に開始しようと思う。
まずは環境作りから。
家で勉強をしないから勉強の場所と時間の確保。
平日は学校とファミレスorマック
ドリンクバーと安い食べ物で粘る。
休日は学校と図書館。
どっちゃにしろ、自分がやらねば誰がやる?
そういうスタンスで頑張ろうと思う。
自分のためではなく、他人のために。
自分なりの方法はあると思うけど、
他人の方法を聞いて「なるほど」と思うことがある。
なんでもそうだけど、他人が言うと説得力があるよね。
ちょっと実行してみようと思う。
勉強に関して。
今日から教採の勉強を本格的に開始しようと思う。
まずは環境作りから。
家で勉強をしないから勉強の場所と時間の確保。
平日は学校とファミレスorマック
ドリンクバーと安い食べ物で粘る。
休日は学校と図書館。
どっちゃにしろ、自分がやらねば誰がやる?
そういうスタンスで頑張ろうと思う。
自分のためではなく、他人のために。
2012年3月12日月曜日
2012年3月6日火曜日
「卒業」するからこそ、考えるべきこと。【中学生ver】
中学生へのコメントもあったので。
又、諸君たちを見守り、支えてくれた多くの人、ことにその成長を心待ちにし、本校の教育に一方ならぬご理解をいただき、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆さんに、心よりの敬意と感謝を述べたいと思います。
諸君らは、これで義務教育を終え、新たな生活に入ることになります。国民の義務として行わなければならない行動としての教育状況からは、大きく変化するわけです。高校に行くことは君らの選択権によって決まったことなのです。保護者の強いサポートがあったにせよ、君らの責任によって高校進学を決定したのだと云う事を忘れないでください。
責任に裏打ちされた行動が求められるのです。自己責任の重さは今までとは比べようがないものです。中学を卒業したということは、責任ある存在として社会から認知されたということです。
今、日本はかってなかった、未曽有の天災の悲劇を迎えています。この悲劇を迎える諸君たちの立場も、中学時代の君たちと、今卒業してからの君達とは大きく変わったものです。社会に支えられた被保護者としての自己から、社会を支える一員として認知された存在と変わったのです。社会の一員として今この惨状を直視しなければなりません。
旅立ち、十五歳の春。君たちは、自らの手で始めてほんの少しその扉を開けたのです。いつもの年であるならば、その扉の向こうに見えたものは、旅立ちを祝する柔らかな日差しでありました。今、社会は昨日までのものとあまりにも違います。
歴史は、おそらく2011年3月11日を境に、平成大震災前、平成大震災後と呼ぶでしょう。諸君は、この震災の直下に、社会的存在として旅立ちの時を迎えたのです。
生まれて100日頃を迎えたペンギンは、それまで親から口伝えでもらっていた食料を、もらえなくなり、自分で海に潜り食べ物を探します。親離れは、社会的存在となる第一歩です。諸君たちに今その時が来たのです。
小さなペンギンのように、海に出なければなりません。海辺でヨチヨチと波に踊り、どうやって水に入ろうかと迷っているときに、かってない、親たちも見たことのないような、大きな波がやってきたのです。しかし、ペンギンに躊躇の時は与えられません。誰も背中を押しません。誰も今は危険だと引き留めてもくれません。濁流の海に泳いで生きていかなければなりません。
今度の災害を眼前にして、私はおめでとうという言葉がなかなか出てきません。その言葉があまりに明るく、私の心を暗くするからです。しかし、今この時だからこそ、諸君に私の思いを伝えなければなりません。
この災害が、諸君の前に提示した課題はあまりに重いものです。自然とは何か。自然との共存とは何か。ありのままの自然を残すとはいかなることなのか。防災と自然はいかなる関係にあるのか。
原子力発電所の危険が叫ばれた時、私は何をしていたのか。どんな行動をとっていたのでしょうか。他人事のようにぬくぬくと人工の陽だまりで昼寝をしていたのです。今、悔恨・自責が脳裏をかすめます。エネルギー問題への答えも出ません。
世界の国々から救援隊が続々やってきました。アメリカの空母が、三陸沖に派遣され、人命救護の最前線に立っています。
平和・環境・安全など。多くの問題が私の胸中に渦巻き、いかなる問題も解決を見せていません。
中国・韓国の隣人たちからもいち早く救援隊が駆けつけてくれました。ロシアは天然ガスの供給を提示し、今も窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来ました。世界の各国から多くの救援が来ています。
地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考えます。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿がありました。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映りました。泥の海に浸り一命を取り留めた父が、家族のために生きようとしたと語っています。
君らと同じ年代の、まさに卒業式を迎えようとしていた生徒にも、悲惨は容赦なく過酷でした。
今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。
旅立ちを前にした諸君たちの課題はあまりに厳しく、あまりに過酷であるかもしれません。
私たちが築いてきた価値観も大きく揺らいでいます。歴史は、進歩という名の下で、大きな過ちをおかしているのかもしれません。流れを変えるのは君たちです。未来は君たちの双肩にあります。
純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
若さと正義に満ちた若者よ。
凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしいと思います。
今ここで卒業できることの重みと感謝を深く共に考えましょう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げましょう。
共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は、新たなる旅立ちを誓っていきたいと思います。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けました。
被災者の人々への援助をお願いしたいと思います。もとより、ささやかな一助足らんとするものですが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためでもあります。
2011年度立教新座中学・高等学校卒業生一同として、被災地に送らせていただきます。
春風梅花をゆらす2011年弥生16日。
立教新座中学・高等学校
卒業式を中止した本校中学三年生諸君へ。
三年間の諸君らの努力が実を結び、卒業の時を迎えたことに、本校教職員を代表して心より祝福を述べたいと思います。又、諸君たちを見守り、支えてくれた多くの人、ことにその成長を心待ちにし、本校の教育に一方ならぬご理解をいただき、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆さんに、心よりの敬意と感謝を述べたいと思います。
諸君らは、これで義務教育を終え、新たな生活に入ることになります。国民の義務として行わなければならない行動としての教育状況からは、大きく変化するわけです。高校に行くことは君らの選択権によって決まったことなのです。保護者の強いサポートがあったにせよ、君らの責任によって高校進学を決定したのだと云う事を忘れないでください。
責任に裏打ちされた行動が求められるのです。自己責任の重さは今までとは比べようがないものです。中学を卒業したということは、責任ある存在として社会から認知されたということです。
今、日本はかってなかった、未曽有の天災の悲劇を迎えています。この悲劇を迎える諸君たちの立場も、中学時代の君たちと、今卒業してからの君達とは大きく変わったものです。社会に支えられた被保護者としての自己から、社会を支える一員として認知された存在と変わったのです。社会の一員として今この惨状を直視しなければなりません。
旅立ち、十五歳の春。君たちは、自らの手で始めてほんの少しその扉を開けたのです。いつもの年であるならば、その扉の向こうに見えたものは、旅立ちを祝する柔らかな日差しでありました。今、社会は昨日までのものとあまりにも違います。
歴史は、おそらく2011年3月11日を境に、平成大震災前、平成大震災後と呼ぶでしょう。諸君は、この震災の直下に、社会的存在として旅立ちの時を迎えたのです。
生まれて100日頃を迎えたペンギンは、それまで親から口伝えでもらっていた食料を、もらえなくなり、自分で海に潜り食べ物を探します。親離れは、社会的存在となる第一歩です。諸君たちに今その時が来たのです。
小さなペンギンのように、海に出なければなりません。海辺でヨチヨチと波に踊り、どうやって水に入ろうかと迷っているときに、かってない、親たちも見たことのないような、大きな波がやってきたのです。しかし、ペンギンに躊躇の時は与えられません。誰も背中を押しません。誰も今は危険だと引き留めてもくれません。濁流の海に泳いで生きていかなければなりません。
今度の災害を眼前にして、私はおめでとうという言葉がなかなか出てきません。その言葉があまりに明るく、私の心を暗くするからです。しかし、今この時だからこそ、諸君に私の思いを伝えなければなりません。
この災害が、諸君の前に提示した課題はあまりに重いものです。自然とは何か。自然との共存とは何か。ありのままの自然を残すとはいかなることなのか。防災と自然はいかなる関係にあるのか。
原子力発電所の危険が叫ばれた時、私は何をしていたのか。どんな行動をとっていたのでしょうか。他人事のようにぬくぬくと人工の陽だまりで昼寝をしていたのです。今、悔恨・自責が脳裏をかすめます。エネルギー問題への答えも出ません。
世界の国々から救援隊が続々やってきました。アメリカの空母が、三陸沖に派遣され、人命救護の最前線に立っています。
平和・環境・安全など。多くの問題が私の胸中に渦巻き、いかなる問題も解決を見せていません。
中国・韓国の隣人たちからもいち早く救援隊が駆けつけてくれました。ロシアは天然ガスの供給を提示し、今も窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来ました。世界の各国から多くの救援が来ています。
地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考えます。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿がありました。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映りました。泥の海に浸り一命を取り留めた父が、家族のために生きようとしたと語っています。
君らと同じ年代の、まさに卒業式を迎えようとしていた生徒にも、悲惨は容赦なく過酷でした。
今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。
旅立ちを前にした諸君たちの課題はあまりに厳しく、あまりに過酷であるかもしれません。
私たちが築いてきた価値観も大きく揺らいでいます。歴史は、進歩という名の下で、大きな過ちをおかしているのかもしれません。流れを変えるのは君たちです。未来は君たちの双肩にあります。
純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
若さと正義に満ちた若者よ。
凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしいと思います。
今ここで卒業できることの重みと感謝を深く共に考えましょう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げましょう。
共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は、新たなる旅立ちを誓っていきたいと思います。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けました。
被災者の人々への援助をお願いしたいと思います。もとより、ささやかな一助足らんとするものですが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためでもあります。
2011年度立教新座中学・高等学校卒業生一同として、被災地に送らせていただきます。
春風梅花をゆらす2011年弥生16日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
<参考にしました>
「卒業」するからこそ、考えるべきこと。【高校生ver】
立教新座中学校・高等学校の去年の卒業式は中止になったそう。
facebookで先輩が「イイネ!」してたので、見たら本当にいい話だった。
簡潔に言えば、震災の影響で卒業式を中止した訳を述べたもの。
それが、また感動的でいい話。
これを見て、みなさんどう思いますか?
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
<参考にしました>
立教新座中学校・高等学校HP
2012年3月1日木曜日
旅立ちの日に、「誰も見ないだろう贈る言葉」を記す
最近、このブログも文学的な場所になりつつあり、
今回も谷川俊太郎の「卒業」という詩にちょっと感動したから
ここに載せておこうと思う。
「卒業」 谷川俊太郎
ひろげたままじゃ持ちにくいから
きみはそれをまるめてしまう
まるめただけじゃつまらないから
きみはそれをのぞいてみる
小さな丸い穴のむこう
笑っているいじめっ子
知らんかおの女の子
光っている先生のはげあたま
まわっている春の太陽
そしてそれらのもっとむこう
きみは見る
星雲のようにこんとんとして
しかもまぶしいもの
教科書には決してのっていず
蛍の光で照らしても
窓の雪ですかしてみても
正体をあらわさない
そのくせきみをどこまでも
いざなうもの
卒業証書の望遠鏡でのぞく
きみの未来
最後の2連がすごくよくって、いい詩だと思う。
「証書を丸める」からの発展の仕方が秀逸。
気取った高貴な詩じゃなくって、等身大の詩で味わい深い。
さてさて、今日は卒業式。
初めて教師(講師だけど)として参加する卒業式は
最低最悪の卒業式となりました・・・。(笑)
自分が1年間だけやけど関わってきた生徒たちの
巣立ちの時を厳かに行ってあげたかったのにね。
でも、みんないい顔で出て行ったし、
アルバムにも何人かにコメントした。
そのコメントが以下の歌詞。
自分のお気に入りの歌詞のひとつ。
The long and winding road
長く曲がりくねった道
That leads to your door
それは、君のもとに向かう道。
will never disappear
決して消えることがない
I've seen that road before
前も見たことのあるこの道を
It always leads me here
行けば必ずここに辿りつく。
Leads me to your door
君のもとに辿りつく。
- the Beatles "The Long And Winding Road"
元の曲はこれです。(You Tubeより)
この歌詞がすごく好きで、
中学校の時の卒業式で使われてめちゃ感動した記憶がある。
(ずいぶんマセたガキんちょだったなぁ・・・笑)
この歌詞のme とyourを、presentとfutureに変えると
すごく意味のある歌詞に変わる。presentは今、futureは未来。
んで、うちの高校までの道のりが、これまたThe Long And Winding Road。
「あ、上手に意味が重なった!」て認識したのは、つい5分前・・・。(笑)
この日記を書きながら、そう思った次第です。(←オフレコ)
この曲を選んでるあたり、自分で「センスあるなぁ~」って思う。(笑)
それで、the Beatlesが解散直前で作ったことを考えれば、これもまた意味深。
でも、これって理解できるのビートルズマニアぐらいだよね。(笑)
そんな裏話はどうでもよく
自分が息子・娘みたくかわいがってきた生徒が巣立っていくというのは
一抹のさみしさもあるし、また親心みたいなのもある。
毎日怒られながらも、会いに来てたやつ
本当は話がしたいのに、「ついてきただけ」って顔してるやつ
授業中に自分が目立たんと気がすまんお調子者
喧嘩して泣きながら話をしにきたやつ
他の先生の愚痴を言いに来るやつ
顔を合わせば、常に勝負を挑んでくるやつ
1年でずいぶん顔つきが大人になったやつ
最後まで迷惑をかけたバカもの
ずーっといじられ続けた残念なやつ
・
・
・
みんな、呆れるぐらいいいやつだと思う。
どっかのクラスの何かの授業中、
「1個、君らのことを心底尊敬してる部分がある!」
って話をしたことがある。
この子たちのほとんどは就職して社会にでる。
10代の最後、まだまだ遊びたいはずのこの子たちが
厳しい社会に出て仕事をしていくなんて、本当に尊敬する。
自分にはそんなことこれっぽっちも思わなかったから、
なんだか彼らを尊敬してしまう。いやぁ、すごいよ。
「社会」って厳しいことだらけ。
彼らにはマジできつい向かい風で、挫折しちゃう時だってあるはず。
何せ、会社って褒めてくれる人はほとんどいない。
みーんな怒ってくる人ばっかり。
自分は会社で働いてきた人間だからその辺よくわかる。
んでもって、耐えることをよくわかってない子がほとんどだから、
ある日突然「やーめた」って帰ってこないかすごく心配。
そん時は、厳しく優しく叱ってやろうと思う。
2年後に、「先生ー!!」ってひょっこりやってきたら、
「おし、飲みに行くぞ!」って酒でも呑み交わしてやりたい。
「お前変わってねーな!」とか言いながら。
何も大学に行くことだけが人生じゃないと思う。
それは今の高校に勤務してから気づかされた。
この歳で社会人となり、日本を微力でも支えている。
こんな立派なことってあるやろか?
逆に自分はどうか?
今の自分は、彼らの成長の度合いに対して
比例して成長を続けているのだろうか?
一生懸命が「自分なりの一生懸命」じゃないか?
きっとそうだ。自分は間違いなく、頑張っていない。
誰の目からも「一生懸命」でありたいし、
今日、巣立っていった卒業生にとっても
今また自分の未来へまっしぐらの在校生にとっても
はたまた、これから出会う未来の生徒にとっても
いつまでも自慢してもらえるような教師であり続けなければならない。
うん、オレ、もっと頑張ろう。
君らの卒業式でもあり、
実はオレの入学式でもあったのかも知れやん。
昨日は雨、明日も予報では雨。
今日だけ晴れた、この偶然の日に。
誰も見ない、送る言葉を記す。
2012年3月1日(木)
今回も谷川俊太郎の「卒業」という詩にちょっと感動したから
ここに載せておこうと思う。
「卒業」 谷川俊太郎
ひろげたままじゃ持ちにくいから
きみはそれをまるめてしまう
まるめただけじゃつまらないから
きみはそれをのぞいてみる
小さな丸い穴のむこう
笑っているいじめっ子
知らんかおの女の子
光っている先生のはげあたま
まわっている春の太陽
そしてそれらのもっとむこう
きみは見る
星雲のようにこんとんとして
しかもまぶしいもの
教科書には決してのっていず
蛍の光で照らしても
窓の雪ですかしてみても
正体をあらわさない
そのくせきみをどこまでも
いざなうもの
卒業証書の望遠鏡でのぞく
きみの未来
最後の2連がすごくよくって、いい詩だと思う。
「証書を丸める」からの発展の仕方が秀逸。
気取った高貴な詩じゃなくって、等身大の詩で味わい深い。
さてさて、今日は卒業式。
初めて教師(講師だけど)として参加する卒業式は
最低最悪の卒業式となりました・・・。(笑)
自分が1年間だけやけど関わってきた生徒たちの
巣立ちの時を厳かに行ってあげたかったのにね。
でも、みんないい顔で出て行ったし、
アルバムにも何人かにコメントした。
そのコメントが以下の歌詞。
自分のお気に入りの歌詞のひとつ。
The long and winding road
長く曲がりくねった道
That leads to your door
それは、君のもとに向かう道。
will never disappear
決して消えることがない
I've seen that road before
前も見たことのあるこの道を
It always leads me here
行けば必ずここに辿りつく。
Leads me to your door
君のもとに辿りつく。
- the Beatles "The Long And Winding Road"
元の曲はこれです。(You Tubeより)
この歌詞がすごく好きで、
中学校の時の卒業式で使われてめちゃ感動した記憶がある。
(ずいぶんマセたガキんちょだったなぁ・・・笑)
この歌詞のme とyourを、presentとfutureに変えると
すごく意味のある歌詞に変わる。presentは今、futureは未来。
んで、うちの高校までの道のりが、これまたThe Long And Winding Road。
「あ、上手に意味が重なった!」て認識したのは、つい5分前・・・。(笑)
この日記を書きながら、そう思った次第です。(←オフレコ)
この曲を選んでるあたり、自分で「センスあるなぁ~」って思う。(笑)
それで、the Beatlesが解散直前で作ったことを考えれば、これもまた意味深。
でも、これって理解できるのビートルズマニアぐらいだよね。(笑)
そんな裏話はどうでもよく
自分が息子・娘みたくかわいがってきた生徒が巣立っていくというのは
一抹のさみしさもあるし、また親心みたいなのもある。
毎日怒られながらも、会いに来てたやつ
本当は話がしたいのに、「ついてきただけ」って顔してるやつ
授業中に自分が目立たんと気がすまんお調子者
喧嘩して泣きながら話をしにきたやつ
他の先生の愚痴を言いに来るやつ
顔を合わせば、常に勝負を挑んでくるやつ
1年でずいぶん顔つきが大人になったやつ
最後まで迷惑をかけたバカもの
ずーっといじられ続けた残念なやつ
・
・
・
みんな、呆れるぐらいいいやつだと思う。
どっかのクラスの何かの授業中、
「1個、君らのことを心底尊敬してる部分がある!」
って話をしたことがある。
この子たちのほとんどは就職して社会にでる。
10代の最後、まだまだ遊びたいはずのこの子たちが
厳しい社会に出て仕事をしていくなんて、本当に尊敬する。
自分にはそんなことこれっぽっちも思わなかったから、
なんだか彼らを尊敬してしまう。いやぁ、すごいよ。
「社会」って厳しいことだらけ。
彼らにはマジできつい向かい風で、挫折しちゃう時だってあるはず。
何せ、会社って褒めてくれる人はほとんどいない。
みーんな怒ってくる人ばっかり。
自分は会社で働いてきた人間だからその辺よくわかる。
んでもって、耐えることをよくわかってない子がほとんどだから、
ある日突然「やーめた」って帰ってこないかすごく心配。
そん時は、厳しく優しく叱ってやろうと思う。
2年後に、「先生ー!!」ってひょっこりやってきたら、
「おし、飲みに行くぞ!」って酒でも呑み交わしてやりたい。
「お前変わってねーな!」とか言いながら。
何も大学に行くことだけが人生じゃないと思う。
それは今の高校に勤務してから気づかされた。
この歳で社会人となり、日本を微力でも支えている。
こんな立派なことってあるやろか?
逆に自分はどうか?
今の自分は、彼らの成長の度合いに対して
比例して成長を続けているのだろうか?
一生懸命が「自分なりの一生懸命」じゃないか?
きっとそうだ。自分は間違いなく、頑張っていない。
誰の目からも「一生懸命」でありたいし、
今日、巣立っていった卒業生にとっても
今また自分の未来へまっしぐらの在校生にとっても
はたまた、これから出会う未来の生徒にとっても
いつまでも自慢してもらえるような教師であり続けなければならない。
うん、オレ、もっと頑張ろう。
君らの卒業式でもあり、
実はオレの入学式でもあったのかも知れやん。
昨日は雨、明日も予報では雨。
今日だけ晴れた、この偶然の日に。
誰も見ない、送る言葉を記す。
2012年3月1日(木)
2012年2月29日水曜日
いい歌詞だと思うので記録する
昨日の予餞会で頻繁にかかってた曲を検索し
さっそくTSUTAYAでレンタルしてきた。
聞くたびにいい曲に聞こえてきたし、
今の自分にも当てはまる気がするから心に残ったんだと思う。
現代の卒業ソングはこんなんなんだろうな。
全体的にいい歌詞だし、心にジーンとくるものがあるね。
歌詞の世界観にあったメロディもいいし。
個人的には、「一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい」の部分が好き。
さっそくTSUTAYAでレンタルしてきた。
聞くたびにいい曲に聞こえてきたし、
今の自分にも当てはまる気がするから心に残ったんだと思う。
かりゆし58 「オワリはじまり」
もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
夕飯時 町 人いきれ「ただいま」と「おかえり」の色
せわしない 木漏れ日 花びら「おはよう」と「さよなら」の音
ありふれた日々が 君や僕の胸に積もって光る
もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
今 動き始めたものや もう二度と動かないもの
今 灯り出した光や 静かに消えていく光
この夜の向こうで 新しい朝が世界に降り始めている
旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望のかたちだってちゃんと分かってる
思い出に変わるのはきっと最後の最後さ
笑って「さよなら」を言えたらいいな
またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
もうすぐ今日が終わる もうすぐ今日が終わる
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
現代の卒業ソングはこんなんなんだろうな。
全体的にいい歌詞だし、心にジーンとくるものがあるね。
歌詞の世界観にあったメロディもいいし。
個人的には、「一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい」の部分が好き。
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