うすうすは想像してたけど、とうとう現実に起こりました。
先生とのマンツーマン授業。
国際関係研究という西洋の国際機関についての講義で
ある先生とマンツーマンになりました。楽しいけどキツイ・・・
オレの専攻は英語コミュニケーションやけど
英語関係の授業ばっかり履修しても必要単位数は
実は取得できない仕組みになってます。ウチの院はね。
だから、他のコースの授業もいくつか履修しやんとあかんのね。
まぁ、国際関係には興味がないわけじゃないし
世界の歴史は大好きなのでこの授業を履修した。
先生のマンツーマンは1人占めに出来るし
自分のペースや理解度に応じてくれるから嬉しいけど
どうやって授業にのんでいけばいいのか分からない。
自然体で受講すれば良いと思うけど、やっぱり緊張する。
ましてや初めて会った先生だから余計にそう思うのかも・・・
先生はバルカン半島の国際関係が専門だそうで
さわりだけそのバルカン半島の話をしてくれたんやけど
終始、話があっちこっちに飛んでしまってさぁ
結局最後には元の話題に戻ってこれずに
授業終了の鐘がなるという・・・(笑)
バルカン半島の政治情勢は詳しくないけど
高校までの世界史でやったこととTVや本で
見たり読んだりしたから、常識程度なら知識はあるよ。
それに、オレの大好きなサッカー選手・ストイコビッチは
何を隠そうこの地域の出身だからサッカー絡みの話ならわかる。
バルカン半島の旧ユーゴには
・民族は1民族
・宗教は2つ
・言語は3つ
という超複雑な構成をしてる国で、WWⅠには
『ヨーロッパの火薬庫』という名で呼ばれてたのは
世界史履修者以外でも知られた事実。
それが91年からのユーゴ内戦を機に4カ国に分離・独立。
だから、1992年のユーロで優勝と思われていた旧ユーゴ。
しかし、国際機関からの制裁で大会参加が取り消され
代わりに出たラウドルップ兄弟のデンマークが優勝。
再び国際大会に出てきたのは1998年の仏W杯。
こんな話も・・・
サッカーファンなら知ってると思いますが
当時、名古屋に所属していたストイコビッチがゴールを決めて
パフォーマンスに来ていたユニフォームを脱ぎました。
彼はユニフォームの下に
『爆撃をやめろ、NATO』
と書かれたシャツを見せアピールし、制裁されたという逸話。
アレはその後のコソヴォ紛争でのNATO軍の爆撃への抵抗。
たしか、これは1998年かな。
まぁ、来週からはオレのリクエストで
『東・西 冷戦時代の構図』をベースにして
ベトナム戦争をテーマにしてもらう予定。
なぜ、このテーマにしたのか・・・??
それはビートルズと少なからず関係があるからですよ。(笑)
EUとかNATOとかにも興味あるけどね。
やっぱり、1対1なんやでさ自分の知りたいこと
興味あることをやる方が特でしょ!?
そう思ったから、そうしたの。先生も言ってたし。
そんな授業で印象的な言葉があったから紹介します。
先生は何気なく言ったのかもしれないけど
オレはものすごく印象深かくて考えさせられた。
『差異と差別は違う。区別も差別と違う。
一人一人違うから、当然身体的特徴も違う。
あくまで個人的な差異だから、それを差別してはいけない。
その違いは広い意味で文化だから違って当然だよね。
その「文化」を今度は「文明」と無意識のうちにすり替えられて
弱者を差別するんだよねぇ・・・』
何かねぇ、ジーンと来たもんねぇ。
この先生に半年お世話になろうと思いました。
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