2011年10月31日月曜日

サッカーと哲学

きっとそうだと思う。

何かに頑張って一生懸命打ち込んでいる人ほど
余暇の使い方は上手なのかもしれない。






そう考えると、自分は余暇の使い方がへたくそだから
間違いなく何かに没頭していることもなく、一生懸命ではない気がする。


そう思った日曜日でした。


自分が頑張れるものを1つ作ろうと思ってたら、
またサッカーをプレーできるチャンスを手に入れたかもしれない。

そのきっかけはひょんなこと。
うちの高校サッカー部OBに「フットサル」に誘われ、
昨日のOB戦で90分(ホントは88分?)をそれなりにプレーできたし
極めつけは、社会人サッカーの練習に誘われた。


これはかなり大事なことだと思う。
今までの自分の人生で一番打ち込んできたのはサッカーだと思う。
これがあったからきちんと勉強も出来たし、何事も一生懸命できた。
だから、これから先この歳になってまた
サッカーの選手としての生活を送ることが出来るというのは
単にサッカーをするということ以外に、何か意味がある気がする。

例えば、人生観や価値観の再発見がそうかもしれない。
自分の価値観や人生観のベースはサッカーで培われたものだと思うから。
もちろん、サッカー上の戦術や知識においても再発見はあるだろうけど、
そんなものは、この再スタートには何の意味もない気がする。


そういう、哲学めいたことを自分の好きなものから発見できたら
きっと自分は1皮も2皮もめくれた人間に成長できるかもしれない。



そんなことを考えている、月曜の夕方。

2011年10月27日木曜日

秋来ぬと・・・

全く秋らしくない10月です。
それももうあと2~3日もすれば11月です。

11月も同じく秋らしくないのでしょうかね・・・?



暑い、寒いの感覚が狂ってしまうほど、今の気候はおかしい気がする。
それに、世界中で気候や地殻の変動で未曾有の大災害が起こりっぱなし。
はたまた、世界的な政治・経済もおかしくなってきてる始末。

そこに何らかの相関関係があるとは決して思えないけど、
「何かあるんじゃないか?」って疑いたくなるような感じ。




そして、また自分も風邪をこじらせてしまい、現在ものどが痛くて声が出ません。
これも災害や不況と相関関係があるのかなぁ?(笑)

気をつけて。

2011年10月19日水曜日

教師として。

教師であるオレ。

「自分は教師です」は成立するが、「教師は自分です」は微妙に成立しない気がする。
はて・・・、意味が分からない気もするが、何となくそんな気もする。

つまり
職業として「自分は教師をやっている(演じている)」と言えるものの、
性格として「教師としての自分になる」とは言えないのかもしれない。


換言すれば、「教師としての性格が備わってない」のかもしれない。
ふと、昨日の出来事でそう思った。





自分の性格上、ある人を嫌いになると、自らその人と距離を置こうとする。
とにかく関わりを絶ち、自分から絶交状態にしたがる。

生徒とのかかわりもきっとそうなってるのかもしれない。
選り好みをするべきではないし、えこひいきもすべきではない。
頭では分かっているものの、無意識にやってるのかもしれない。

だから、自分にはきっと学級担任は向かないのかもしれない。
どっかの分掌ですべての生徒と「遠浅の海」のように関わっているほうが
自分には向いているのかもしれない。

今、自分の可能性を限定していくのはきっと悪いことだと思うけど
ただ、正確に自分の能力を評価できる人間でなければ教師は務まらない・・・

のだろうか?



たぶん、それも違う気がする。
何かを一生懸命頑張って、自分を変えていける教師も必要である。
自分が生徒なら、そんな先生と話がしたいし、きっと影響を受けると思う。
「あぁ、この先生の言うことなら信じてみたい・・・。」って。


つまるところ、「バランス」と「フルパワー」が求められている気がするのである。
振り返れば、自分は「バランス」が欠如しているし、常に余力を残すタイプ。
きっとダメなんだろうなって思えてきた。


『生徒は教師の鏡』


忘れてたことを思い出せた気がした。





そんな出来事があった。
わからないままより、分かっただけましかも。