教師であるオレ。
「自分は教師です」は成立するが、「教師は自分です」は微妙に成立しない気がする。
はて・・・、意味が分からない気もするが、何となくそんな気もする。
つまり
職業として「自分は教師をやっている(演じている)」と言えるものの、
性格として「教師としての自分になる」とは言えないのかもしれない。
換言すれば、「教師としての性格が備わってない」のかもしれない。
ふと、昨日の出来事でそう思った。
自分の性格上、ある人を嫌いになると、自らその人と距離を置こうとする。
とにかく関わりを絶ち、自分から絶交状態にしたがる。
生徒とのかかわりもきっとそうなってるのかもしれない。
選り好みをするべきではないし、えこひいきもすべきではない。
頭では分かっているものの、無意識にやってるのかもしれない。
だから、自分にはきっと学級担任は向かないのかもしれない。
どっかの分掌ですべての生徒と「遠浅の海」のように関わっているほうが
自分には向いているのかもしれない。
今、自分の可能性を限定していくのはきっと悪いことだと思うけど
ただ、正確に自分の能力を評価できる人間でなければ教師は務まらない・・・
のだろうか?
たぶん、それも違う気がする。
何かを一生懸命頑張って、自分を変えていける教師も必要である。
自分が生徒なら、そんな先生と話がしたいし、きっと影響を受けると思う。
「あぁ、この先生の言うことなら信じてみたい・・・。」って。
つまるところ、「バランス」と「フルパワー」が求められている気がするのである。
振り返れば、自分は「バランス」が欠如しているし、常に余力を残すタイプ。
きっとダメなんだろうなって思えてきた。
『生徒は教師の鏡』
忘れてたことを思い出せた気がした。
そんな出来事があった。
わからないままより、分かっただけましかも。
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