2011年10月19日水曜日

教師として。

教師であるオレ。

「自分は教師です」は成立するが、「教師は自分です」は微妙に成立しない気がする。
はて・・・、意味が分からない気もするが、何となくそんな気もする。

つまり
職業として「自分は教師をやっている(演じている)」と言えるものの、
性格として「教師としての自分になる」とは言えないのかもしれない。


換言すれば、「教師としての性格が備わってない」のかもしれない。
ふと、昨日の出来事でそう思った。





自分の性格上、ある人を嫌いになると、自らその人と距離を置こうとする。
とにかく関わりを絶ち、自分から絶交状態にしたがる。

生徒とのかかわりもきっとそうなってるのかもしれない。
選り好みをするべきではないし、えこひいきもすべきではない。
頭では分かっているものの、無意識にやってるのかもしれない。

だから、自分にはきっと学級担任は向かないのかもしれない。
どっかの分掌ですべての生徒と「遠浅の海」のように関わっているほうが
自分には向いているのかもしれない。

今、自分の可能性を限定していくのはきっと悪いことだと思うけど
ただ、正確に自分の能力を評価できる人間でなければ教師は務まらない・・・

のだろうか?



たぶん、それも違う気がする。
何かを一生懸命頑張って、自分を変えていける教師も必要である。
自分が生徒なら、そんな先生と話がしたいし、きっと影響を受けると思う。
「あぁ、この先生の言うことなら信じてみたい・・・。」って。


つまるところ、「バランス」と「フルパワー」が求められている気がするのである。
振り返れば、自分は「バランス」が欠如しているし、常に余力を残すタイプ。
きっとダメなんだろうなって思えてきた。


『生徒は教師の鏡』


忘れてたことを思い出せた気がした。





そんな出来事があった。
わからないままより、分かっただけましかも。

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