きっとそうだと思う。
何かに頑張って一生懸命打ち込んでいる人ほど
余暇の使い方は上手なのかもしれない。
そう考えると、自分は余暇の使い方がへたくそだから
間違いなく何かに没頭していることもなく、一生懸命ではない気がする。
そう思った日曜日でした。
自分が頑張れるものを1つ作ろうと思ってたら、
またサッカーをプレーできるチャンスを手に入れたかもしれない。
そのきっかけはひょんなこと。
うちの高校サッカー部OBに「フットサル」に誘われ、
昨日のOB戦で90分(ホントは88分?)をそれなりにプレーできたし
極めつけは、社会人サッカーの練習に誘われた。
これはかなり大事なことだと思う。
今までの自分の人生で一番打ち込んできたのはサッカーだと思う。
これがあったからきちんと勉強も出来たし、何事も一生懸命できた。
だから、これから先この歳になってまた
サッカーの選手としての生活を送ることが出来るというのは
単にサッカーをするということ以外に、何か意味がある気がする。
例えば、人生観や価値観の再発見がそうかもしれない。
自分の価値観や人生観のベースはサッカーで培われたものだと思うから。
もちろん、サッカー上の戦術や知識においても再発見はあるだろうけど、
そんなものは、この再スタートには何の意味もない気がする。
そういう、哲学めいたことを自分の好きなものから発見できたら
きっと自分は1皮も2皮もめくれた人間に成長できるかもしれない。
そんなことを考えている、月曜の夕方。
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