知らない間にもう6月も終わりかけです。
仲良くしてる留学生が帰ってしまいます。
イングランド、アメリカ、カナダのケベック、にそれぞれ帰ります。
もっと早くに仲良くなるべきだったと思うし、
もっとたくさんいろんなことすればよかった。
一緒にサッカー見に行ったのはお互いのいい思い出になった。
それからというもの、オレと彼ら留学生との距離はぐっと近づいたけど
オレの中では言いたいことが言えずにもどかしさが増すばっかり。
あぁ、悔しい思いばっかりしてたなぁ・・・。もっとたくさん話したいのに・・・
それに、修論と同時並行で大きなレポートを作成してます。
『イギリスの教育制度』と『ベトナム戦争』という難題に挑んでます。
授業のプロジェクトやけども、テーマは完全に自分の趣味。
特に後者は修論にも関係してくるので、真剣にやってます。
修論は、いよいよフロイトやらラカンやらソシュールやらが出てきた。
読んでてたまに難しすぎて脳みそが痒くなる時があるけど
おもしろいです。知らないこと知るってすごくおもしろい。
興味のあることだからなおさら面白いと感じるんやと思う。
あと、来月の今頃は教員採用試験です。受験します。
スペイン語が多少話せるにチェックを入れました。
優遇制度があって、『西語・葡語が出来る』と加算されます。
口述試験なるものが存在しますが、頑張ってみます。
もっとも、自分のスペイン語は未熟も未熟でさぁ。
簡単なことなら話せるし理解は出来ます。
出稼ぎ労働者、特に南米のスペイン語圏から来た労働者の子ども
所謂、日本の中でのマイノリティの学校教育に携わりたいと思いまして。
特に三重県はそういう環境にいる外国人労働者が多いんです。
ポルトガル語はやったことないから分からんけど、いずれやりたいです。
知らなかったんですが、今年の6月でブラジルへの移民100周年らしい。
これを機会に日系人とも仲良くなってみようかとも思う。
実習後から、やっぱり『教育の現場』にこだわりたいと思うようになった。
ちょっと前まで、カリキュラム作成や教材編集にも興味があったけど
やっぱり、現場で子どもと接しながら教育に携わりたいと思いまして。
子どもは子どもでも、教育機会が少ない子どもたちの先生になりたい。
院内学級とか離島での中等・高等教育が将来的に出来れば・・・と思う。
自分にある可能性が何なのか、色々考えてます。
2008年6月26日木曜日
2008年6月22日日曜日
三昆ムし二ヶ二ノョ一ノ
あの例の秋葉原の事件から各地で犯行予告をする
所謂、愉快犯が出没しております。そして続々と逮捕者が出る。
何とまぁ・・・、言葉も出ません。
警察としては、たとえ本気じゃなかったとしても
後に事件に発展してしまえばそれはそれで問題になるわけで
無視をするわけにはいかへんもんな。
『オオカミが来たぞー!』って叫ぶ少年が住んでた村の村人みたいに
どうせ嘘でしょ!?って無視することは出来やんもんね。
それも問題ですけど、あの時のカメラの後ろでピースをする奴ら。
彼らもおかしいでしょう。何でピースをするの?カメラがあるから?
何でなんやろ。絶対に世の中、特に10代っておかしくなってない?
って本当に最近思うようになってきた。特に教育実習中からね。
なんだろ、オレが実習中に思ったのはね
「フェイス・トゥ・フェイス」のコミュニケーションが上手に出来やんのよね。
どーもねぇ、自分を表現することがどうも苦手らしくってね。
自己紹介用紙を書かせても、ほぼ白紙。書いてあっても一言だけ。
もっとも、オレもそんなに得意じゃないけど、自己紹介が大事なことは
通訳の授業や合宿で学んだし、今もみんなから学んどる。
『空気を読む』、俗に言うKYって言葉が好きじゃなくってさ。
別に空気読まなくってもいいでしょ?友達ならさぁ・・・。
むしろ、言い合ってけんかしろよ!とか思ったことも実習中に数回ある。
というか、実習生がKYって言葉を本気で使ってたことにア然とした。
雰囲気を感じることは素晴らしくいいことだと思う。
それを全て読んでまで行動に移す必要性はないと思う。
読み間違えれば謝る、ケンカしたら「ゴメン」と言う
オレはそれでええと思う。
要はコミュニケーションの深度なのよ。
どれだけ深い位置で対人コミュニケーションをするかなのよ。
コレが、実習中のオレの毎日の課題やったのよ。
先生と、生徒と、モノと、実習生とのコミュニケーションを
オレはめちゃくちゃ気を使ってたし、すごく大事にしてた。
やっぱり、パソコンや携帯の普及があるからそれに頼りがちやし
実際にそれらがないと不便な世の中になってしまった部分もある。
けど、やっぱり口でモノを伝えることは大事だしね。
何だかね、オレはひそかにおもっとるんやけど
全ての犯罪とはいわへんけどさぁ、昨今の犯罪ってさぁ・・・
どうも『コミュニケーションの障害』が原因じゃないかって気がするのよ。
皆さんはどうお考えかは知りませんが・・・。オレはそんな気がするん。
ひょっとすると、オレもその患者の1人なんかもしれん。
所謂、愉快犯が出没しております。そして続々と逮捕者が出る。
何とまぁ・・・、言葉も出ません。
警察としては、たとえ本気じゃなかったとしても
後に事件に発展してしまえばそれはそれで問題になるわけで
無視をするわけにはいかへんもんな。
『オオカミが来たぞー!』って叫ぶ少年が住んでた村の村人みたいに
どうせ嘘でしょ!?って無視することは出来やんもんね。
それも問題ですけど、あの時のカメラの後ろでピースをする奴ら。
彼らもおかしいでしょう。何でピースをするの?カメラがあるから?
何でなんやろ。絶対に世の中、特に10代っておかしくなってない?
って本当に最近思うようになってきた。特に教育実習中からね。
なんだろ、オレが実習中に思ったのはね
「フェイス・トゥ・フェイス」のコミュニケーションが上手に出来やんのよね。
どーもねぇ、自分を表現することがどうも苦手らしくってね。
自己紹介用紙を書かせても、ほぼ白紙。書いてあっても一言だけ。
もっとも、オレもそんなに得意じゃないけど、自己紹介が大事なことは
通訳の授業や合宿で学んだし、今もみんなから学んどる。
『空気を読む』、俗に言うKYって言葉が好きじゃなくってさ。
別に空気読まなくってもいいでしょ?友達ならさぁ・・・。
むしろ、言い合ってけんかしろよ!とか思ったことも実習中に数回ある。
というか、実習生がKYって言葉を本気で使ってたことにア然とした。
雰囲気を感じることは素晴らしくいいことだと思う。
それを全て読んでまで行動に移す必要性はないと思う。
読み間違えれば謝る、ケンカしたら「ゴメン」と言う
オレはそれでええと思う。
要はコミュニケーションの深度なのよ。
どれだけ深い位置で対人コミュニケーションをするかなのよ。
コレが、実習中のオレの毎日の課題やったのよ。
先生と、生徒と、モノと、実習生とのコミュニケーションを
オレはめちゃくちゃ気を使ってたし、すごく大事にしてた。
やっぱり、パソコンや携帯の普及があるからそれに頼りがちやし
実際にそれらがないと不便な世の中になってしまった部分もある。
けど、やっぱり口でモノを伝えることは大事だしね。
何だかね、オレはひそかにおもっとるんやけど
全ての犯罪とはいわへんけどさぁ、昨今の犯罪ってさぁ・・・
どうも『コミュニケーションの障害』が原因じゃないかって気がするのよ。
皆さんはどうお考えかは知りませんが・・・。オレはそんな気がするん。
ひょっとすると、オレもその患者の1人なんかもしれん。
2008年6月14日土曜日
ソースカツの総括
昨日、学校に提出していた実習日誌を受け取ったから
後はお礼の手紙を学校側に送って教育実習は終わり。
「こんなもんなの?」っていうのが正直な感想やな。
教科指導の先生からは最後まで何のアドバイスも貰えず、
HRクラスでも先生に言われて結局好き放題しただけで
良いも悪いも、反省の材料を指摘してくれなかった。
みんなは教科指導の学年とHRクラスの学年が一緒なのに
どうしてオレだけ違うんだろう?って正直疑問に思う。
最終日にこの事に関して色んな先生に謝られたけど
なぜ、どうしてもっとちゃんとプランを立てへんのやろ?
もっとも実習が始まる前から不安に思ってた事項やで
実際に実習が始まると『あぁ、そうか』と妥協した形で
納得をして臨んできたけど、やっぱり最後まで違和感があった。
研究授業は成功した部分と成功しなかった部分がある。
自分が展開したい授業が時間の関係で最後までいかへんだけど
その片鱗は随所に垣間見れた気がした。コレは良かった。
大学から来てくれた某・先生にこう言われた。
「教案どおりに授業は進むはずはないから時間がたらへんだとか、
アレが出来やへんだとかは絶対にあるでそれは心配せんでもええ。」
これ聞いて、すごくほっとした。喉に刺さってた小骨がとれた感じ。
似たような内容を見学に来てくださった先生全員に言われた。
コレは確かにそうだと思う。自分の頭の中で考えて作る教案って
結局自分の希望・願望が入ってかなりトラブルレスな状態やでな。
でも、今回はそんな状況を吹っ飛ばすぐらいの大アクシデントで
生徒がやってきて来るべき宿題(予習)を全くしてなかった。
研究授業でするような授業を実際に前段階で取り入れてみて
授業自体は「いける」って思ったけど、不安が的中した。
別案を頭の中に入れておいてよかったと思う。
あと、こういうのって計画通りに出来やんから次回は良くしようと
努力する物だし、毎回反省があるから向上していくもんだと思う。
先生も「そうだ!」って言ってたし、自分でも実際に「そうや」と思った。
授業が『時間内に終われる』ということは、逆説的に捉えると
それだけ教案どおりに授業を進めたって証拠で自己満足の世界。
生徒とのやり取りが一切排除された授業で、微塵も面白くない。
何やろ?・・・終わってみてオレ、実習しにいったって感じが全くしやん。
何ていうか、自分では燃え上がったけど、結局燃え尽きてない。
燃え尽きるどころか、逆に先生たちに消火させられた感じがした。
自分なりに努力をして工夫や自己評価・自己点検はしたものの
やっぱり先生には欠点を厳しく指導してもらいたいって思う。
そう思って先生に「何か問題はありますか?」って聞いても
「いや、特にありません」って言われるだけで済んでしまう。
褒めてくれるのは嬉しいけど、「いいんじゃない?」だけでは不満だし
そもそもオレは母校での実習に「怒られ」に来たつもりやったから
ホンマにもっとたくさん自分の欠点を指摘して欲しかった。
他の実習生には「それだけ上手なんですよ」って言われたけど
決してそうは思わへんし、やるからには実習生とはいえ完璧がええ。
研究授業に来た高校の先生には「実習生にしては大変上手です」って
言われるのは『うれしい』反面、オレにとっては『そりゃそうだ』とも思った。
そのときの自分の気持ちを素直に告白するとね。ホンマにそう思った。
オレには塾で4年半の間、教壇に立ってたの経験があるから、
この実習がほぼ初回の他の実習生に比べたら上手に見えるんやろうね。
緊張せんと高校の教壇に立てることはなかったし、ドキドキもしたし汗もかいた。
でも、緊張のあまり息が出来やんってことはなかったし、落ち着いてたと思う。
今、振り返ってみると、実習前に想像してたよりも平然と授業してた気がする。
実習期間中にオレが先生から学べたことはホントに少ないけど
それでも、他の先生がくれたアドバイスはすごく参考になった。
たぶん、授業を行ううえでのオレの問題は『板書』だと感じた。
どこぞの先生や大学でのスタイルに慣れたせいか、殴り書きが多い。
自分が大学で受ける講義のノートも殴り書きだしさ。
たとえるなら、通訳のノートテイキング形式になりつつある。(笑)
あそこまで簡略化してないし、一種の暗号にはなっていない・・・
研究授業後、先生に言われたことはこういうことだった。
『「板書」は生徒が家に帰ってノートを再読したらその回の授業が
全て分かるように先生は気をつけながら書かないとダメだ!』
って、予備校の先生の言葉(・・・らしい)を紹介しつつ指摘してくれた。
コレはねぇ、確かにそうだと思う。自分が学生ならすごくうれしいもんね。
高校の頃公民の先生で黒板をグチャグチャに書く先生がいて困ったもん。
そのときの状況と全く同じやったってことだよね。コレはすごく反省した。
こんな感じでアドバイスをもらえない実習になりそうだと
事前ミーティングの時に先生に言われたし、そうだろなって思ったから
オレはオレなりに『どうするべきか?』と考えて実習を過ごした。
マズは目標。
「仲良くなる」とか「授業を滞りなくする」とかいうレベルじゃなく
「自分がこの実習を通して、全ての活動で何を重視するべきか」という
自分の信念というかポリシーというか、要はみんなに何を伝えたいかを
考えてそれに基づいて行動するように心がけた。
そこで、オレは「コミュニケーション」という言葉をキーワードに
学校での生活を過ごそうと思って実習に臨むことにした。
コレは全ての面でほぼ達成されてたと思う。
授業にも積極的にコミュニケーションの機会を導入したし
授業外でもコミュニケーションを積極的にとるように努めた。
それに、その目標の下位目標というか小見出し的な目標を
毎日作ってそれを達成するように、自分なりに考えて行動した。
2つめ
自分のためだけの「実習日記」をつけて、それに対して自己評価をした。
実習期間中にココで日記を書かへんかわりに、ノート1冊作ってね、
そこに「何を考えてたか?」とか「感じたこと」とか実習中の全てを書いた。
注意すべきところ、先生のよかったところ、先生への愚痴(笑)、
落書き、いいなぁと思った指導法、それに目標に対する評価も書いた。
このノートを作ることは本当にオススメだし、すごく有意義になる。
日記を書くか書かないかを考えて「書かない」とココで講評した時
みんなが書き込んでくれたアドバイスから思いついたことでね。
(先輩、ありがとうございます!)
1つ目のことはずいぶん前から決めてたことだけど
2つ目は直前に思いついたことやったんやけどな。
高校側の先生がそんな感じやったから「自分でやれるだけやろう」って思ったけど、
先輩の意見を聞くまではこんないい方法が全然思い浮かばへんかった。
逆に教育実習に来て、よかったと思うことは
現在の英語教育がどんな感じでどんな方法でやってるのかがわかった。
実際に学校が抱える問題を実感してそれに取り組んだこと。・・・などなど
総じて言えば、物足りへんだ教育実習やった。
もう1回ぐらい本気で行きたいぐらいだし。
後はお礼の手紙を学校側に送って教育実習は終わり。
「こんなもんなの?」っていうのが正直な感想やな。
教科指導の先生からは最後まで何のアドバイスも貰えず、
HRクラスでも先生に言われて結局好き放題しただけで
良いも悪いも、反省の材料を指摘してくれなかった。
みんなは教科指導の学年とHRクラスの学年が一緒なのに
どうしてオレだけ違うんだろう?って正直疑問に思う。
最終日にこの事に関して色んな先生に謝られたけど
なぜ、どうしてもっとちゃんとプランを立てへんのやろ?
もっとも実習が始まる前から不安に思ってた事項やで
実際に実習が始まると『あぁ、そうか』と妥協した形で
納得をして臨んできたけど、やっぱり最後まで違和感があった。
研究授業は成功した部分と成功しなかった部分がある。
自分が展開したい授業が時間の関係で最後までいかへんだけど
その片鱗は随所に垣間見れた気がした。コレは良かった。
大学から来てくれた某・先生にこう言われた。
「教案どおりに授業は進むはずはないから時間がたらへんだとか、
アレが出来やへんだとかは絶対にあるでそれは心配せんでもええ。」
これ聞いて、すごくほっとした。喉に刺さってた小骨がとれた感じ。
似たような内容を見学に来てくださった先生全員に言われた。
コレは確かにそうだと思う。自分の頭の中で考えて作る教案って
結局自分の希望・願望が入ってかなりトラブルレスな状態やでな。
でも、今回はそんな状況を吹っ飛ばすぐらいの大アクシデントで
生徒がやってきて来るべき宿題(予習)を全くしてなかった。
研究授業でするような授業を実際に前段階で取り入れてみて
授業自体は「いける」って思ったけど、不安が的中した。
別案を頭の中に入れておいてよかったと思う。
あと、こういうのって計画通りに出来やんから次回は良くしようと
努力する物だし、毎回反省があるから向上していくもんだと思う。
先生も「そうだ!」って言ってたし、自分でも実際に「そうや」と思った。
授業が『時間内に終われる』ということは、逆説的に捉えると
それだけ教案どおりに授業を進めたって証拠で自己満足の世界。
生徒とのやり取りが一切排除された授業で、微塵も面白くない。
何やろ?・・・終わってみてオレ、実習しにいったって感じが全くしやん。
何ていうか、自分では燃え上がったけど、結局燃え尽きてない。
燃え尽きるどころか、逆に先生たちに消火させられた感じがした。
自分なりに努力をして工夫や自己評価・自己点検はしたものの
やっぱり先生には欠点を厳しく指導してもらいたいって思う。
そう思って先生に「何か問題はありますか?」って聞いても
「いや、特にありません」って言われるだけで済んでしまう。
褒めてくれるのは嬉しいけど、「いいんじゃない?」だけでは不満だし
そもそもオレは母校での実習に「怒られ」に来たつもりやったから
ホンマにもっとたくさん自分の欠点を指摘して欲しかった。
他の実習生には「それだけ上手なんですよ」って言われたけど
決してそうは思わへんし、やるからには実習生とはいえ完璧がええ。
研究授業に来た高校の先生には「実習生にしては大変上手です」って
言われるのは『うれしい』反面、オレにとっては『そりゃそうだ』とも思った。
そのときの自分の気持ちを素直に告白するとね。ホンマにそう思った。
オレには塾で4年半の間、教壇に立ってたの経験があるから、
この実習がほぼ初回の他の実習生に比べたら上手に見えるんやろうね。
緊張せんと高校の教壇に立てることはなかったし、ドキドキもしたし汗もかいた。
でも、緊張のあまり息が出来やんってことはなかったし、落ち着いてたと思う。
今、振り返ってみると、実習前に想像してたよりも平然と授業してた気がする。
実習期間中にオレが先生から学べたことはホントに少ないけど
それでも、他の先生がくれたアドバイスはすごく参考になった。
たぶん、授業を行ううえでのオレの問題は『板書』だと感じた。
どこぞの先生や大学でのスタイルに慣れたせいか、殴り書きが多い。
自分が大学で受ける講義のノートも殴り書きだしさ。
たとえるなら、通訳のノートテイキング形式になりつつある。(笑)
あそこまで簡略化してないし、一種の暗号にはなっていない・・・
研究授業後、先生に言われたことはこういうことだった。
『「板書」は生徒が家に帰ってノートを再読したらその回の授業が
全て分かるように先生は気をつけながら書かないとダメだ!』
って、予備校の先生の言葉(・・・らしい)を紹介しつつ指摘してくれた。
コレはねぇ、確かにそうだと思う。自分が学生ならすごくうれしいもんね。
高校の頃公民の先生で黒板をグチャグチャに書く先生がいて困ったもん。
そのときの状況と全く同じやったってことだよね。コレはすごく反省した。
こんな感じでアドバイスをもらえない実習になりそうだと
事前ミーティングの時に先生に言われたし、そうだろなって思ったから
オレはオレなりに『どうするべきか?』と考えて実習を過ごした。
マズは目標。
「仲良くなる」とか「授業を滞りなくする」とかいうレベルじゃなく
「自分がこの実習を通して、全ての活動で何を重視するべきか」という
自分の信念というかポリシーというか、要はみんなに何を伝えたいかを
考えてそれに基づいて行動するように心がけた。
そこで、オレは「コミュニケーション」という言葉をキーワードに
学校での生活を過ごそうと思って実習に臨むことにした。
コレは全ての面でほぼ達成されてたと思う。
授業にも積極的にコミュニケーションの機会を導入したし
授業外でもコミュニケーションを積極的にとるように努めた。
それに、その目標の下位目標というか小見出し的な目標を
毎日作ってそれを達成するように、自分なりに考えて行動した。
2つめ
自分のためだけの「実習日記」をつけて、それに対して自己評価をした。
実習期間中にココで日記を書かへんかわりに、ノート1冊作ってね、
そこに「何を考えてたか?」とか「感じたこと」とか実習中の全てを書いた。
注意すべきところ、先生のよかったところ、先生への愚痴(笑)、
落書き、いいなぁと思った指導法、それに目標に対する評価も書いた。
このノートを作ることは本当にオススメだし、すごく有意義になる。
日記を書くか書かないかを考えて「書かない」とココで講評した時
みんなが書き込んでくれたアドバイスから思いついたことでね。
(先輩、ありがとうございます!)
1つ目のことはずいぶん前から決めてたことだけど
2つ目は直前に思いついたことやったんやけどな。
高校側の先生がそんな感じやったから「自分でやれるだけやろう」って思ったけど、
先輩の意見を聞くまではこんないい方法が全然思い浮かばへんかった。
逆に教育実習に来て、よかったと思うことは
現在の英語教育がどんな感じでどんな方法でやってるのかがわかった。
実際に学校が抱える問題を実感してそれに取り組んだこと。・・・などなど
総じて言えば、物足りへんだ教育実習やった。
もう1回ぐらい本気で行きたいぐらいだし。
2008年6月13日金曜日
終了の朱色
ネットが使用できる環境が全く整わず
更新が滞ってしまって、申し訳ありません
何とかネットにつながるようになったので報告します。
無事に教育実習は終了しましたが、いささか不満が残りました。
高校に行く実・実習期間は先週の金曜の時点で終わったけど、
まだ実習が完全に終了したわけではないし、裏・実習が残っとる
だから、詳しいことはすべて終了してから書きたいと思います。
兎に角、終わったことだけ連絡します。
応援してくれた皆さん、ありがとう。
これから実習に行く人、頑張ってください。
体験から話すことができること・相談にのれることは
どうぞ、いつでも何でも話してください。
更新が滞ってしまって、申し訳ありません
何とかネットにつながるようになったので報告します。
無事に教育実習は終了しましたが、いささか不満が残りました。
高校に行く実・実習期間は先週の金曜の時点で終わったけど、
まだ実習が完全に終了したわけではないし、裏・実習が残っとる
だから、詳しいことはすべて終了してから書きたいと思います。
兎に角、終わったことだけ連絡します。
応援してくれた皆さん、ありがとう。
これから実習に行く人、頑張ってください。
体験から話すことができること・相談にのれることは
どうぞ、いつでも何でも話してください。
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