というタイトルの講演を、先週の土曜日に聴いてきた。
場所は、わが母校、名古屋外国語大学。講演者は学長。
びっくりしたのは学長は80歳!!
この先、学長の講演を聞くチャンスなんてめったにないし
学長の話はおもしろい(・・・らしい)から、参加してみた。
教職課程の学生は半強制的に参加させられ、
このレポートを作らなければいけないらしい。
大変ですな・・・(笑)
講演を聴いて思ったこと。
如何にして生徒に自信を持たせるか??が大切な部分。
それはどんなレベルにあろうとも、どんな些細なものであろうとも
決して妥協せずに取り組まないとダメだし
自分が手を抜いた瞬間に、生徒はきっと離れてってしまう。
ほんの小さな変化にも気づくことが出来る観察眼を養わないとダメだし、
それを臆せずに褒めたり叱ったり出来る度胸も必要かもしれない。
ほとんどが日本語の話(学長の専門分野の日本語音声学)で終わっちゃったけど
日本人は英語を学ぶとき、日本語をベースにしないと学習できないところがある
(・・・気がする)
だからこそ、日本語の細かい部分にもこだわって外国語学習をしないといけない。
それが、単純な「言語」の習得になることだけは避けなければならないし
ただの知識バカになってほしくもない。
言語と文化、それぞれを包括した「言葉」の感覚を身に着けて欲しいと思う。
いましの子どもたちは、日本語のものさしですらあやふやなのに、
外国語だなんて・・・って思っちゃうけどね。
そこには、国際理解教育だなんていわず
日本の自国にたいする理解を深めないといけないのかもしれない。
そういう観点で話を聞くと、やっぱり学習指導要領の再考はして欲しいと思う。
本気で日本の教育を考えるのであればね。
学校教育の現場における語学は、世間でいう語学ではない。
「言語だけを学べばいい」と言う単純なもんじゃない。
その言語に含まれる「文化・習慣・民俗ect」を一緒に見知ってこそ
学校教育での「外国の言葉の学習」として成立する。
そう思いました。
2011年11月30日水曜日
2011年11月21日月曜日
2011年11月10日木曜日
人として。
先生として…というか、ひとりの人間として
「誰かのモチベーション」でいられることって
本当にすばらしいことだと思う。
逆に、それが「自分のモチベーション」になってたりもする。
そう思った今週の出来事でした。
「コイツを何とかしてやろう!」って
恩着せがましく接する態度って、高圧的で抑圧的。
自分が生徒なら、絶対にそんな先生にはついてかないな。
…でも、自分が学生時代に接してきた先生にそんな先生はおらんかった。
むしろ、真逆のタイプの先生がばっかりだった気がする。
ここからは、自分の意見だけど、
多少「好きにしたら?」ぐらいのスタンスでいる方が
相手にとってはいい気がする。
ただし、徹底的に同じことをしてあげる必要があるし
何かを成し遂げるまでそばで応援してあげなければならない。
冗談をいったり、一緒に勉強したり、叱ったり。
ケツを引っぱたいて生徒を走らせるいわば「押すタイプ」の先生も
確実に学校現場にはいなければならないと思うんだけど
今の自分は、きっとその逆のような気がする。
自分とつながっているロープを引っ張ってあげる
「引くタイプ」の先生であろうと思っとる。
でも、このタイプは、すべての生徒の味方じゃなくなってしまう。
そうならないように気をつけたいなって思う。
「誰かのモチベーション」でいられることって
本当にすばらしいことだと思う。
逆に、それが「自分のモチベーション」になってたりもする。
そう思った今週の出来事でした。
「コイツを何とかしてやろう!」って
恩着せがましく接する態度って、高圧的で抑圧的。
自分が生徒なら、絶対にそんな先生にはついてかないな。
…でも、自分が学生時代に接してきた先生にそんな先生はおらんかった。
むしろ、真逆のタイプの先生がばっかりだった気がする。
ここからは、自分の意見だけど、
多少「好きにしたら?」ぐらいのスタンスでいる方が
相手にとってはいい気がする。
ただし、徹底的に同じことをしてあげる必要があるし
何かを成し遂げるまでそばで応援してあげなければならない。
冗談をいったり、一緒に勉強したり、叱ったり。
ケツを引っぱたいて生徒を走らせるいわば「押すタイプ」の先生も
確実に学校現場にはいなければならないと思うんだけど
今の自分は、きっとその逆のような気がする。
自分とつながっているロープを引っ張ってあげる
「引くタイプ」の先生であろうと思っとる。
でも、このタイプは、すべての生徒の味方じゃなくなってしまう。
そうならないように気をつけたいなって思う。
2011年10月31日月曜日
サッカーと哲学
きっとそうだと思う。
何かに頑張って一生懸命打ち込んでいる人ほど
余暇の使い方は上手なのかもしれない。
そう考えると、自分は余暇の使い方がへたくそだから
間違いなく何かに没頭していることもなく、一生懸命ではない気がする。
そう思った日曜日でした。
自分が頑張れるものを1つ作ろうと思ってたら、
またサッカーをプレーできるチャンスを手に入れたかもしれない。
そのきっかけはひょんなこと。
うちの高校サッカー部OBに「フットサル」に誘われ、
昨日のOB戦で90分(ホントは88分?)をそれなりにプレーできたし
極めつけは、社会人サッカーの練習に誘われた。
これはかなり大事なことだと思う。
今までの自分の人生で一番打ち込んできたのはサッカーだと思う。
これがあったからきちんと勉強も出来たし、何事も一生懸命できた。
だから、これから先この歳になってまた
サッカーの選手としての生活を送ることが出来るというのは
単にサッカーをするということ以外に、何か意味がある気がする。
例えば、人生観や価値観の再発見がそうかもしれない。
自分の価値観や人生観のベースはサッカーで培われたものだと思うから。
もちろん、サッカー上の戦術や知識においても再発見はあるだろうけど、
そんなものは、この再スタートには何の意味もない気がする。
そういう、哲学めいたことを自分の好きなものから発見できたら
きっと自分は1皮も2皮もめくれた人間に成長できるかもしれない。
そんなことを考えている、月曜の夕方。
何かに頑張って一生懸命打ち込んでいる人ほど
余暇の使い方は上手なのかもしれない。
そう考えると、自分は余暇の使い方がへたくそだから
間違いなく何かに没頭していることもなく、一生懸命ではない気がする。
そう思った日曜日でした。
自分が頑張れるものを1つ作ろうと思ってたら、
またサッカーをプレーできるチャンスを手に入れたかもしれない。
そのきっかけはひょんなこと。
うちの高校サッカー部OBに「フットサル」に誘われ、
昨日のOB戦で90分(ホントは88分?)をそれなりにプレーできたし
極めつけは、社会人サッカーの練習に誘われた。
これはかなり大事なことだと思う。
今までの自分の人生で一番打ち込んできたのはサッカーだと思う。
これがあったからきちんと勉強も出来たし、何事も一生懸命できた。
だから、これから先この歳になってまた
サッカーの選手としての生活を送ることが出来るというのは
単にサッカーをするということ以外に、何か意味がある気がする。
例えば、人生観や価値観の再発見がそうかもしれない。
自分の価値観や人生観のベースはサッカーで培われたものだと思うから。
もちろん、サッカー上の戦術や知識においても再発見はあるだろうけど、
そんなものは、この再スタートには何の意味もない気がする。
そういう、哲学めいたことを自分の好きなものから発見できたら
きっと自分は1皮も2皮もめくれた人間に成長できるかもしれない。
そんなことを考えている、月曜の夕方。
2011年10月27日木曜日
秋来ぬと・・・
全く秋らしくない10月です。
それももうあと2~3日もすれば11月です。
11月も同じく秋らしくないのでしょうかね・・・?
暑い、寒いの感覚が狂ってしまうほど、今の気候はおかしい気がする。
それに、世界中で気候や地殻の変動で未曾有の大災害が起こりっぱなし。
はたまた、世界的な政治・経済もおかしくなってきてる始末。
そこに何らかの相関関係があるとは決して思えないけど、
「何かあるんじゃないか?」って疑いたくなるような感じ。
そして、また自分も風邪をこじらせてしまい、現在ものどが痛くて声が出ません。
これも災害や不況と相関関係があるのかなぁ?(笑)
気をつけて。
それももうあと2~3日もすれば11月です。
11月も同じく秋らしくないのでしょうかね・・・?
暑い、寒いの感覚が狂ってしまうほど、今の気候はおかしい気がする。
それに、世界中で気候や地殻の変動で未曾有の大災害が起こりっぱなし。
はたまた、世界的な政治・経済もおかしくなってきてる始末。
そこに何らかの相関関係があるとは決して思えないけど、
「何かあるんじゃないか?」って疑いたくなるような感じ。
そして、また自分も風邪をこじらせてしまい、現在ものどが痛くて声が出ません。
これも災害や不況と相関関係があるのかなぁ?(笑)
気をつけて。
2011年10月19日水曜日
教師として。
教師であるオレ。
「自分は教師です」は成立するが、「教師は自分です」は微妙に成立しない気がする。
はて・・・、意味が分からない気もするが、何となくそんな気もする。
つまり
職業として「自分は教師をやっている(演じている)」と言えるものの、
性格として「教師としての自分になる」とは言えないのかもしれない。
換言すれば、「教師としての性格が備わってない」のかもしれない。
ふと、昨日の出来事でそう思った。
自分の性格上、ある人を嫌いになると、自らその人と距離を置こうとする。
とにかく関わりを絶ち、自分から絶交状態にしたがる。
生徒とのかかわりもきっとそうなってるのかもしれない。
選り好みをするべきではないし、えこひいきもすべきではない。
頭では分かっているものの、無意識にやってるのかもしれない。
だから、自分にはきっと学級担任は向かないのかもしれない。
どっかの分掌ですべての生徒と「遠浅の海」のように関わっているほうが
自分には向いているのかもしれない。
今、自分の可能性を限定していくのはきっと悪いことだと思うけど
ただ、正確に自分の能力を評価できる人間でなければ教師は務まらない・・・
のだろうか?
たぶん、それも違う気がする。
何かを一生懸命頑張って、自分を変えていける教師も必要である。
自分が生徒なら、そんな先生と話がしたいし、きっと影響を受けると思う。
「あぁ、この先生の言うことなら信じてみたい・・・。」って。
つまるところ、「バランス」と「フルパワー」が求められている気がするのである。
振り返れば、自分は「バランス」が欠如しているし、常に余力を残すタイプ。
きっとダメなんだろうなって思えてきた。
『生徒は教師の鏡』
忘れてたことを思い出せた気がした。
そんな出来事があった。
わからないままより、分かっただけましかも。
「自分は教師です」は成立するが、「教師は自分です」は微妙に成立しない気がする。
はて・・・、意味が分からない気もするが、何となくそんな気もする。
つまり
職業として「自分は教師をやっている(演じている)」と言えるものの、
性格として「教師としての自分になる」とは言えないのかもしれない。
換言すれば、「教師としての性格が備わってない」のかもしれない。
ふと、昨日の出来事でそう思った。
自分の性格上、ある人を嫌いになると、自らその人と距離を置こうとする。
とにかく関わりを絶ち、自分から絶交状態にしたがる。
生徒とのかかわりもきっとそうなってるのかもしれない。
選り好みをするべきではないし、えこひいきもすべきではない。
頭では分かっているものの、無意識にやってるのかもしれない。
だから、自分にはきっと学級担任は向かないのかもしれない。
どっかの分掌ですべての生徒と「遠浅の海」のように関わっているほうが
自分には向いているのかもしれない。
今、自分の可能性を限定していくのはきっと悪いことだと思うけど
ただ、正確に自分の能力を評価できる人間でなければ教師は務まらない・・・
のだろうか?
たぶん、それも違う気がする。
何かを一生懸命頑張って、自分を変えていける教師も必要である。
自分が生徒なら、そんな先生と話がしたいし、きっと影響を受けると思う。
「あぁ、この先生の言うことなら信じてみたい・・・。」って。
つまるところ、「バランス」と「フルパワー」が求められている気がするのである。
振り返れば、自分は「バランス」が欠如しているし、常に余力を残すタイプ。
きっとダメなんだろうなって思えてきた。
『生徒は教師の鏡』
忘れてたことを思い出せた気がした。
そんな出来事があった。
わからないままより、分かっただけましかも。
2011年9月30日金曜日
すとまちゃっちぇ
月曜からずっと腹が痛い。
たった4日とはいえ、結構苦痛。
口の中も出来物でいっぱい。舌にも出来る始末・・・。
いや、これはそれ以前のストレスが原因か!?(笑)
どちらにせよ、必ず月に1回腹痛になる女性の気持ちが
ほんのちょっと分かった気がする。
もちろん、全く性格が違うものだし、比べたらいけないのかもしれないけど。
はぁ…、病院にいってきます。
たった4日とはいえ、結構苦痛。
口の中も出来物でいっぱい。舌にも出来る始末・・・。
いや、これはそれ以前のストレスが原因か!?(笑)
どちらにせよ、必ず月に1回腹痛になる女性の気持ちが
ほんのちょっと分かった気がする。
もちろん、全く性格が違うものだし、比べたらいけないのかもしれないけど。
はぁ…、病院にいってきます。
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